【2007年5月31日(木)】

あみちゃんのお母さんから伝えられた、あみちゃんの様子です。

-----

お陰様で愛美は9才になり、小学校3年生に進級しました。先日移植後満2年を迎えることも出来ました。この1年を順に振り返りたいと思います。

昨年の9月にバイオプシーのため検査入院しました。その結果、拒絶反応は全く見られませんでした。入院中に眼科・歯科・皮膚科などでも検診を受けましたが、そちらも問題はありませんでした。 脳梗塞の後遺症の関係で脳波・MRIも取りました。左脳に大きなダメージを受けましたので、てんかんを起こす可能性もあるようですが、今のところ一度も起こしていません。また、脳波の検査結果からも今すぐに対処すべきところは指摘されませんでした。

10月には1年生の時には参加できなかった遠足に参加しました。お友達は学校から片道1時間半位を歩きましたが、愛美は長距離を歩くことができないので移動は車で送迎となりました。それでも現地で合流して遠足の気分を味わい、楽しむことが出来たようです。愛美にとって遠足は、5才の時の幼稚園で行った遠足以来だと思います。先生方が様々な場面で愛美が皆と同じ経験が出来るように配慮してくださるので、本当に感謝しています。

また同じく10月には、発病前に幼稚園の課外教室でお世話になった、愛美が大好きなピアノの先生が、月2回自宅に出張レッスンに来てくださることになりました。左手だけで活躍されている日本人のピアニストのお話や、左手のための楽譜もたくさんあるということも伺って、目から鱗が落ちる思いでした。何より愛美はピアノが大好きなので、本人には楽しんで欲しいと思いますし、また音楽で豊かな心を養って欲しいと思います。

11月には「学習発表会」があり、学年ごとに劇をやりました。愛美は「かみなりの子ども」の役で、台詞も2箇所ありました。失語症のため、人前に出るなどして緊張すると余計声が出なくなるので大変心配しましたが、大きな声でしっかり感情をこめて発声することが出来ていました。一生懸命な姿に胸が熱くなりました。「緊張した〜!」と言っていましたが、楽しかったそうです。

12月には上唇に大きな口内炎ができてしまいました。何を飲むにも食べるにも必ず触れる場所でとても痛く、免疫抑制のせいで傷の治りが遅いこともあり、徐々に飲水量も食事量も減ってしまい、ついにクリスマス頃にはゴロンと横たわるようになってしまいました。明らかに様子がおかしいので、拒絶反応を心配して臨時で受診しました。その結果、心臓は元気に動いていてくれて、元気がないのは「脱水」が原因とわかりました。その後、努めて飲食量を増やす工夫と数回の点滴と口内炎の傷の回復により、1月初旬にはなんとか体調も戻りました。

ところが、1月中旬に今度は歯茎全体が腫れてしまいました。大人でも身体が弱っている時に親知らずが痛んだりするように、愛美も口内炎から始まった体力減退の影響が歯茎に出てしまったようです。今度は脱水にならないように出来る限り気をつけたつもりでしたが、痛みのためやはりまた飲食量が減ってしまい、著しく体調が悪くなってしまいました。激しく痛がるため口からの栄養摂取ができず、2日に1回救急で点滴をする日が続きました。歯科も受診しましたが、全身状態の悪化に起因する歯茎の腫れなので、お薬では腫れが治まらず、結局入院してしっかり体力を回復させることになりました。脱水になると薬の血中濃度が過度に高くなり体調が悪くなってしまうばかりか、薬の増減による血中濃度のコントロールが難しくなってしまうそうです。1月末から2月初頭にかけて約1週間入院した結果、元気を取り戻すことが出来ました。

ほっとしたのも束の間、退院1週間後の受診の際に、愛美に拒絶反応が起きていると告げられました。本人は見た目はとても元気になっていましたので驚くと同時に、「拒絶反応」という言葉を初めて突きつけられ、愕然としました。幸い軽い拒絶反応なので免疫抑制剤を増やせば治せると言われたのですが、心配で心配で目の前が真っ暗になる思いでした。結局お薬の量を増やしたお陰で、次の検査では拒絶反応はきれいに消えていました。きっかけは単なる口内炎から、拒絶反応を引き起こしてしまう結果になり、愛美には辛い思いをさせてしまいました。心臓にも負担をかけてしまいましたが、軽い拒絶反応で済み、ドナーになってくださったお子さんが守ってくれたのだと改めて心から感謝しました。これを教訓に些細なことでも気を引き締めて注意したいと思います。

2月・3月は学校でインフルエンザが流行りました。愛美は感染することなく元気に過ごしていましたが、その間は養護の先生に相談しながら自宅待機をすることになりました。このため3学期はあまり登校することができず残念でしたが、やはり体が最優先なので致し方ありません。担任の先生はもちろん、1、2年のクラスメートの皆には色々助けていただき、仲良くしていただいたお陰で楽しく過ごすことが出来ました。

4月には3年生に進級し、クラス替えがありました。元のクラスメート以外は愛美が右半身の麻痺があり左手で生活していることや、失語症のため言語活動全般に障害があることなどを知らない子がほとんどなので、上手くやっていけるかとても心配しました。この点も学校や新しい担任の先生のご理解と温かいご配慮により、保護者会で保護者の皆さんに、そして道徳の時間で新しいクラスメートに、それぞれ愛美のことを説明する機会をいただくことができ、愛美は今、とても楽しく学校に通うことが出来ています。4月30日にはお陰様で9才の誕生日を迎えることが出来ました。

5月初めには階段から落ちて上の前歯1本がぐらついてしまい、現在となりの歯にブリッジをしています。永久歯なので心配しましたが、1ヶ月くらいでブリッジも取ることができそうです。足が引っかかった上に咄嗟に右手を付くことができないので顔から落ちてしまったようです。愛美は気持ちに手足がついていかないため転びやすく、受け身を取れずにすり傷やあざを作ることも度々あります。

そして5月19日は移植後2年の記念日でした。ケーキにロウソクを2本立てました。私たちはこの日を、ドナーとそのご家族はもちろんのこと、愛美をアメリカに送り出すためにご支援くださった皆様、日米の医療関係の方々、そして現地のボランティアの方々等、愛美の命を守るために携わってくださった全ての方に感謝する日にしたいと思っています。愛美には新しい命をいただいたことを少しずつ説明しています。

また手術日は日本時間では5月20日だったのですが、手術からちょうど2年目の5月20日に、愛美のピアノの発表会がありました。右手を参加させるには至りませんでしたが、左手だけで2曲演奏しました。発表会のために一生懸命何回も練習しましたので、間違っても慌てることなく堂々と最後まで演奏していました。きれいなドレスを着て大きなホールで演奏することが出来たので、本人も満足したようです。私たちは愛美の晴れ舞台を目の当たりにし、涙が出る思いでした。2周年という記念の日に素敵なプレゼントをもらった気持ちです。今ドナーのご家族へのお手紙と写真を送る準備をしているのですが、ご家族には愛美が左手で生活していることをお伝えしてありますので、是非この発表会の写真も添えたいと思っています。

5月末には運動会がありました。今年は70メートル走・表現(ダンス)・団体競技など3年生の種目は全て参加することができました。愛美が無理なく参加できるよう随所で先生方がご配慮くださり、また気遣ってくれる優しいお友達にも恵まれ、本当に有難く思いました。愛美は昨年は緊張しているように見えましたが、今年は何をしても嬉しくてしょうがないような感じで、順番待ちをしている間もピョンピョン飛び跳ねたりしていました。楽しそうな様子に嬉しくなりました。

-----

この1年は良いことも心配なこともあり、特に体調管理の難しさを再認識させられました。またこうして改めて振り返ってみますと、様々な障害を抱えながらも愛美は本当に逞しく、よく頑張っていると思います。一方私は多少のことには動じない「肝っ玉母さん」になりたいと思いながらも、なかなかうまくいきません。他の子と比べずに愛美のペースでいいんだと頭では分かっていてもどこかで期待してしまう面もあり、反省しています。弟のまーくん(5才になりました)はよく愛美をフォローしてくれて、私も助けてもらっています。

愛美は最近は少しずつ字も読めるようになり、時間はかかりますが音読の宿題もこなしているので、リハビリも兼ねて時々募金活動中に皆さんからいただいたお手紙を一緒に読んでいます。当時は脳梗塞を起こした直後でしたのでいただいたお手紙は全て私が耳元で読んで聞かせていましたが、改めて読み返しながら愛美は知らない人が自分を応援してくれていたことに大変驚いたり、嬉しく思っているようです。同様に私も励まされ、気持ちを新たにすることが出来ています。募金活動から2年以上経ちますが、変わらず多くの方にお力をいただいており、本当に感謝しています。今後とも、愛美の良いところや出来ることをたくさん見つけ、たくさん褒めて、体調を崩さずに笑顔いっぱいの生活ができるよう家族で支えて行きたいと思います。

「あみちゃんを救う会」事務局

→最新情報ページへ戻る

Copyright © 2005 あみちゃんを救う会